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2011年 10月 28日
2011年、10月29日に 私は45歳になった。
昭和41年生まれの丙午。蠍座、血液オー型。 東京の目黒、碑文谷近くに住んでいた富山県八尾町出身の若い夫婦の間の長男として生まれてから24歳になるまで東京が住まい。大阪の電器メーカーに入って、大阪暮らしが始まりもう20年の月日が経ったのだ。平成3年から平成23年の月日。平成の大部分を関西の方で暮らしている。 大阪と東京の違いとは何だろうか? やはり、大阪に残る人たちは大阪のひとだ。 東京の大分部分は地方出身者。言葉も標準語とよばれる、テレビやラジオで全国に放送されている無味乾燥な言葉が話し言葉となる。大阪弁。だんじり祭りで有名な岸和田、南河内弁と北河内弁。大阪市内の商人達の言葉の船場の言葉。。。 おそらく、大阪弁にも標準的な大阪弁があるんだろう。江戸時代から四国徳島や香川県、四国岡山県、広島県などの移住者も多いようだし、フェリーが行き来のあった奄美大島、琉球諸島の血統の沖縄県人達も大阪湾中心にコミュニティーが形成されている。旧大阪ドーム、現在京セラドームと呼ばれる、野球場周辺とか、大正区、港区というエリア。団地、マンションが林立する下町である。 一方、東京の山手線にあたる「環状線」と呼ばれるJR西日本経営のループラインの東の方、東成区、生野区のエリアはびっくりするくらい「コリアン」です。時間のある時に、焼肉屋が林立する鶴橋あたりから、今里、北巽、南巽の住宅地を歩いたが、ここは朝鮮人と日本人が互いの住処と文化を棲み分けて暮らすエリア。新今里、今里新地というアーケードから飲食店街を歩くと聞こえてくる言語は韓国語ばかり。ハングルが話せないとお店の中では完全に余所者扱いだ。 南巽という住宅地にある、巽神社。ここは以前より行ってみたかった神社。明治末期の神社合祀で大地の横野神社(これは式内社)・伊賀ヶの伊賀ヶ天神社・西足代の内天照皇大神社・矢柄の前熊野神社・四条の小路天神社の五社を合祀し、村の名をとって八幡神社から巽神社と改称したもの。 http://kamnavi.jp/en/kawati/tatumi.htm 巽神社の北東1kmの生野区巽西3丁目9番に、横野神社跡が残されている。 延喜式内社の神社でもとは印色宮(いんじのみや)と呼ばれていた。 仁徳十三年(西暦326年)に、横野堤が築かれたとの記事が『日本書紀』に見える。 http://ja.wikipedia.org/wiki/仁徳天皇
by yokonov
| 2011-10-28 23:59
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